友達が流産してしまいました
友達の2人目の子供になる筈でした

私も長女(今の2人目)を産む前に流産の経験があるので、つらさがすごく良く分かります
 
  
友達はまだ「妊娠5週」という時に流産が分かったそうです

「妊娠5週」って、初期の初期の初期
「妊娠が分かるかどうか」ですら微妙な時期
ひょっとしたら「月に一度のモノ」と間違えてしまうかもしれない可能性だってある

「まだ出血がひどいの」と書いてあったから、きっとその出血で流産と分かったんでしょう…
 
 
 
 
初期流産というのは決して母胎が悪い訳ではなく、赤ちゃん側に何らかの原因があって「ごめんね、今回は産まれてこられないの」と流産してしまうそうです

私の流産は着帯も済んだ後の「妊娠19週(もうすぐ6ヶ月)」という安定期だったので悔やんでも悔やみきれませんでした

ちょうど仕事が忙しくて「1人目を何のトラブルもなく無事に産んだ」という過信もあって無理してしまったのです

今でも「ああ、あの時の子が無事に産まれていたら今頃あの保育園であの子達と同じクラスなんだ」とか「小学校にだって、ランドセルを背負って行っただろうに…」と思います
「私が無理をしたせいで一人の人間の人生を奪ってしまったのだ」と、すごく落ち込む時もあります
 
 
 

その後長女が無事に産まれた時は、女の子が欲しかったのですごくうれしかったです
反面「流産したのが男の子だ」と分かっていたので「長女の誕生を喜ぶと言う事は、次男の流産を喜ぶ事になってしまうのではないか?」と思ってしまい、長女には複雑な思いで育児をしました
 
 
 

でも今回の友達の場合は赤ちゃん側に原因があったのだから、決して自分を責めないで欲しい…

 
 

けれどもそんな事を言ったところで、流産をしたという悲しさは消える訳もない
一度でも流産した人は、例え他に子供が居たとしても、きっとその悲しい思いを一生持って生きると思う(自分がそうだから)
 
 

友達は「もう妊娠するのが怖くなってしまったの」とメールに書いていました

気持ちはすごく良く分かるけど、立ち直って欲しいな…
 
 
 
 
今は「10人に1人が流産の経験がある」そうです

「私、流産したの」などという経験は、誰しもおおっぴらに話しませんが、私が流産した時には「実は私も流産したの」と経験を話してくれる人がたくさんいました
「え?、あなたも?」っていう感じでした
 
 
 
私が流産した後も、流産した知人が居ました

だから流産は決してめずらしい事ではない

街を歩いている女の人が10人居たとしたら、その内の1人は流産経験者の筈
 
 
 
でも誰しもが妊娠時にはその「10人に1人」が自分ではないと思っている
無念な思いは、吹っ切れたり悩んだりを繰り返しながら、エンドレス…
 
 
 
友達は所属は違うけど、職場の同期の同業者
「仕事なんてどうだっていいから、とにかく今は身体を休めてね。ゆっくりしてね」とメールしました

「がんばれ」とか「元気出して」とはとても言えませんでした…
 
 
明日家の前までお見舞いに行こうと思います
私の顔を見ると友達は無理して笑顔を作らなくてはいけないだろうから、絵本とお菓子を家族にあずけて帰ってこようと思っています
 

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