ウチの長男は作文が大の苦手…
2003年2月24日ウチの長男は、作文が大の苦手です
「コレについて書け」と課題が出ている時ですら、書けません
私自身は子供の頃は作文や詩が大好きだったので「何故嫌いなのか、何故書けないのか」彼の心情を理解できません
「好きなように書きなさい」「思ったままに書きなさい」と言うのですが、彼にはその「好きなように」「思ったままに」ができないのです
「何て書いていいのか分からない」と言います
作文の宿題は結構な頻度で出るのですが、彼はその度に頭を抱えて原稿用紙に向かって数時間そのままだった事もあります
そんな彼に、私がイライラした事もしばしば…
そこで「今の親は何でもマニュアル育児」と言わますが「作文が大好きになる本」と「作文が大好きな子を作る本」というモノを読んでみる事としました(タイトルはもう少し違う本です。まんま本の名前を出したら、ちょっとやばいかな〜?、などと思ってみました)
まずそれを読んでの第一の感想
「やっぱり世の中の作文教育は、私が言った事とほぼ同じ形で行われているのだ」という事です
学校でもやっぱり「思った通り」「好きなように」書きなさいと指示するらしいです
それは子供の自主性を尊重しているように思えますが、実は「放置」であって「指導」ではないそうなのです
言われてみればそう思います
そこには「思った通りとか好きなようにとか言われて、書けるわけがない。ピアノの弾けない人に、ピアノの前に座らせて「何でもいいから好きな曲を弾きなさい」と言っても弾けないのと同じだ」とも書いてありました
フムフムなるほど、そうだよあ…
なので、これからしばらくは、作文の宿題が出たら「何を書きたいのか」を見つけるために、こちらから話を聞く事としました(一応前からやってはいたんだけどね…)
私の計画としては「何を書きたいのかを聞き出す」「それを箇条書きにする」「パズルみたいに順番を組み合わせる」としていって、しばらくそれを一緒にやって、そのウチ一人でもできるようにしたいのですが、もう既にすごく作文に苦手意識ができているらしいので「少しずつ直ってくれればいいなあ」と思っています
私が読んだ本の中には、こんな事も書いてありました
「今の子供達は「好きなように書きなさい」と言われて、本当に好きなように書くと、それを誉められない事を知っている。そして「何がいい作文なのか」ということも、知っている。夏休みに読書感想文を書かせれば、みんながこぞって「戦争」を取り上げ「もう戦争はしたくない」「平和な世の中がいい」という「いい子ちゃん作文」ができあがる。もしくは「今日何々をしました。楽しかったです」「今日どこどこへ行きました。うれしかったです」という紋切り型の作文ができあがるか、どちらかだ」
う〜ん、耳が痛い…
私自身もそういう「いい子ちゃん作文」がいい作文だと思っていたし、最後に「楽しかったです」等々の言葉を入れる事で終わるのが「普通の作文」と思っていたので…
確かにそれでは自分の意見や考えを述べた事には、ちっともなっていないですよね…
短気な私(すぐ子供を怒ってしまう)ですが、子供が思った事を少しでも引き出せるようになればいいなあ、と思います
確かに子供って「天然ポエマー」で、何かを表現する時なんか、こっちがまるで思いつかない方法で言ったりしますよね?
ああいうのを、大事にしてあげたいです(今更だけど…)
しかし今回の事で「自分ができた事を人ができないと、どうすれば分かってもらえるのか、非常に苦労する」と言う事を実感しました
伝えたくても伝わらないもどかしさもあるし…
例えば私は「絶対音感」を持っていて、こんなの何の役にも立たないモノなのですが、初めて聞いた曲や音をすぐにドレミで言う事ができます
なので絶対音感を持ってない旦那が「何でそんな事が分かるんだ?」と言っても、私にとっては最初からドレミで聞こえてきてしまうので、説明のしようがありません
逆に「じゃあ何であなたはドレミで言えないの?」という感じです
私は方向音痴です
今居る場所が東西南北で言うとどちら向きなのか、頭でいったん考えないと分かりません
旦那はそういうのをすぐに分かる人なので「今自分がどっち向きか分からないなんて、おかしい」と言います
私に言わせれば、そう言うのが分かる方が不思議でなりません
だから作文も「書きなさい」と言われれば書けるものだとハナから思っていたので、今回「マニュアル本」を読んだ事は大変参考になりました
これからも気を付けつつ見守っていけたらなあ、と思います(これも「紋切り型いい子ちゃん作文」かもねえ…)
「コレについて書け」と課題が出ている時ですら、書けません
私自身は子供の頃は作文や詩が大好きだったので「何故嫌いなのか、何故書けないのか」彼の心情を理解できません
「好きなように書きなさい」「思ったままに書きなさい」と言うのですが、彼にはその「好きなように」「思ったままに」ができないのです
「何て書いていいのか分からない」と言います
作文の宿題は結構な頻度で出るのですが、彼はその度に頭を抱えて原稿用紙に向かって数時間そのままだった事もあります
そんな彼に、私がイライラした事もしばしば…
そこで「今の親は何でもマニュアル育児」と言わますが「作文が大好きになる本」と「作文が大好きな子を作る本」というモノを読んでみる事としました(タイトルはもう少し違う本です。まんま本の名前を出したら、ちょっとやばいかな〜?、などと思ってみました)
まずそれを読んでの第一の感想
「やっぱり世の中の作文教育は、私が言った事とほぼ同じ形で行われているのだ」という事です
学校でもやっぱり「思った通り」「好きなように」書きなさいと指示するらしいです
それは子供の自主性を尊重しているように思えますが、実は「放置」であって「指導」ではないそうなのです
言われてみればそう思います
そこには「思った通りとか好きなようにとか言われて、書けるわけがない。ピアノの弾けない人に、ピアノの前に座らせて「何でもいいから好きな曲を弾きなさい」と言っても弾けないのと同じだ」とも書いてありました
フムフムなるほど、そうだよあ…
なので、これからしばらくは、作文の宿題が出たら「何を書きたいのか」を見つけるために、こちらから話を聞く事としました(一応前からやってはいたんだけどね…)
私の計画としては「何を書きたいのかを聞き出す」「それを箇条書きにする」「パズルみたいに順番を組み合わせる」としていって、しばらくそれを一緒にやって、そのウチ一人でもできるようにしたいのですが、もう既にすごく作文に苦手意識ができているらしいので「少しずつ直ってくれればいいなあ」と思っています
私が読んだ本の中には、こんな事も書いてありました
「今の子供達は「好きなように書きなさい」と言われて、本当に好きなように書くと、それを誉められない事を知っている。そして「何がいい作文なのか」ということも、知っている。夏休みに読書感想文を書かせれば、みんながこぞって「戦争」を取り上げ「もう戦争はしたくない」「平和な世の中がいい」という「いい子ちゃん作文」ができあがる。もしくは「今日何々をしました。楽しかったです」「今日どこどこへ行きました。うれしかったです」という紋切り型の作文ができあがるか、どちらかだ」
う〜ん、耳が痛い…
私自身もそういう「いい子ちゃん作文」がいい作文だと思っていたし、最後に「楽しかったです」等々の言葉を入れる事で終わるのが「普通の作文」と思っていたので…
確かにそれでは自分の意見や考えを述べた事には、ちっともなっていないですよね…
短気な私(すぐ子供を怒ってしまう)ですが、子供が思った事を少しでも引き出せるようになればいいなあ、と思います
確かに子供って「天然ポエマー」で、何かを表現する時なんか、こっちがまるで思いつかない方法で言ったりしますよね?
ああいうのを、大事にしてあげたいです(今更だけど…)
しかし今回の事で「自分ができた事を人ができないと、どうすれば分かってもらえるのか、非常に苦労する」と言う事を実感しました
伝えたくても伝わらないもどかしさもあるし…
例えば私は「絶対音感」を持っていて、こんなの何の役にも立たないモノなのですが、初めて聞いた曲や音をすぐにドレミで言う事ができます
なので絶対音感を持ってない旦那が「何でそんな事が分かるんだ?」と言っても、私にとっては最初からドレミで聞こえてきてしまうので、説明のしようがありません
逆に「じゃあ何であなたはドレミで言えないの?」という感じです
私は方向音痴です
今居る場所が東西南北で言うとどちら向きなのか、頭でいったん考えないと分かりません
旦那はそういうのをすぐに分かる人なので「今自分がどっち向きか分からないなんて、おかしい」と言います
私に言わせれば、そう言うのが分かる方が不思議でなりません
だから作文も「書きなさい」と言われれば書けるものだとハナから思っていたので、今回「マニュアル本」を読んだ事は大変参考になりました
これからも気を付けつつ見守っていけたらなあ、と思います(これも「紋切り型いい子ちゃん作文」かもねえ…)
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